新宿、高田馬場のバー軍艦島のタイトル

1.軍艦島は「軍艦島」ではない
「軍艦島(ぐんかんじま)」は,正式には長崎県長崎市
(2005年の市町村合併前は長崎県西彼杵郡高島町)
「端島(はしま)」といいます。
島の形が,元日本海軍所属の軍艦「土佐」に似ていることから,
「軍艦島」という俗称で呼ばれています。

2.軍艦島はここにある
「軍艦島」は,東経129°45′,北緯32°39′に位置し,
野母崎の北西,長崎港からは約19kmの海上にある孤島で,
南北が約480m,東西が約160m,面積約6.3ha,周囲約1.2km,海抜47.7m
という小さな島です。

3.軍艦島の起源は幕府の時代
1810年ころ,当時の佐賀藩が石炭の採掘を始め,
1890年(明治23年)に三菱が島と採掘権を買い取り,
1972年ころまで海底炭鉱として操業していました。

4.軍艦島はこうして軍艦になった
元々この島は,草木のない水成岩の瀬でしたが,
炭鉱の発展とともに島の周辺を埋め立てながら護岸堤防の拡張をくり返し,
現在の形になりました。さらに,従業員の住宅の建設も始まり,
1916年(大正5年)以降からは,高層鉄筋アパートが次々に建てられました。
そうして,島内に高層アパートがところせましと並び,
軍艦のような形になったのです。

5.軍艦島のここがスゴイ
大正5年,日本初の鉄筋コンクリートの高層建築物は,
この島に造られました。
炭鉱の最盛期には,この小さな島に5000人以上の人が住み,
その人口密度は当時の東京の約10倍にもなりました。
さらに,島内には作業場や住宅のほかに,
7階建ての小中学校,共同浴場,公園などの公共施設,
映画館などの娯楽施設,料理屋や販売所,神社,手術室完備の病院までありました。

6.軍艦島での暮らし
1918年(大正7年)からは電気が,
1938年(昭和13年)からは電話が,海底ケーブルでひかれていました。
高層アパート群は,建物と建物の間のほとんどが通路でつながっていて,
外に出なくても楽に移動できました。
さらに,建物と建物の間隔が狭いので,雨や風にほとんどあたらずに移動できたそうです。
ただ,風の強くて波が高いときなんかは,
建物の上から潮をかぶるところもあったそうです。

7.そして誰もいなくなった
長年にわたり石炭を採掘してきたこの島も,
昭和30年代後半からのエネルギー革命の波を受けて1972年(昭和47年)に採炭を終了,
1974年(昭和49年)1月15日に正式に閉山しました。そして同年4月20日,
島民は全員島を去ったのです。閉山時の人口は,
最盛期の約5000人から半分以下の約2000人になっていたそうです。
それ以後,この島は,鉄筋建築物だけが残る無人島となりました。

8.軍艦島の現在
2001年(平成13年),
軍艦島が三菱から高島町(現在は長崎市)へ無償譲渡されました。
2005年現在,建物や護岸の崩壊の危険があるため,
島への立ち入りは禁止となっています。
ただし,船で近くまで行って見ることはできます。